今回はそもそも防衛大学校がどういった施設なのかといったことを解説します。切り口はいくらでもあるので全部書くと何百万字とかになってしまいそうなので切り口を概要、歴史、ノブリスオブリージュ、生活の4個に絞って解説します。
概要
1952年、防衛大学校の前身である保安大学校が設立され1954年には防衛庁設置法に基づいて防衛大学校に改名されました。現在防衛大学校は神奈川県横須賀市の小原台に位置し、東京湾を見下ろしています。防衛大学校は陸海空自衛隊の幹部を育成するための士官学校で一般的な教育機関とは異なり防衛省の中の組織という位置付けになるのです(そのため大学とは名乗らず大学校と名乗っています)。防大生は全寮制の四年制であり日々勉学・訓練・校友会に励んでいます。
歴史
先ほどお伝えしたように1952年に保安庁法に基づき防衛大学校の前身である保安大学校が設立されました。その後1954年に防衛大学校に名を変え現在まで自衛隊幹部を輩出し続けています。最初の保安大学校の設立は吉田茂によって指示されました。基本方針に「科学的な教養、科学的な知見、科学的な考え方を持つ幹部」と記されていたり、陸海空が統合された士官学校であったり学校長の軍人以外からの登用といったからも戦前の失敗に対する反省が強く反映されていることが分かります。
民間から選ばれた初代校長槙智雄は現在の防衛大学校に大きな影響を残し彼の考え方などは槙イズムと呼ばれています。彼は慶應大学の出身で指導方針はノブレスオブリージュといったパブリックスクール式のもので同学校の池田潔に影響を受けています。12年間校長として在籍し今でも彼の考えは防衛大学校で感じ取ることができます。
以降は1958年の史上初の留学生、1961年の研究科(大学院)の開設、1992年の女子学生採用開始など話すことはいくらでもありますが、ここでは話しきれないので割愛させていただきます。
ノブリスオブリージュ
先ほど話したノブリスオブリージュについても少し触れておきます。防衛大学校に入るとしばしば聞くようになる言葉が「ノブリス・オブリージュ」です。この言葉は元々フランスの言葉で日本語では「高貴なるものの責任」と訳されます。それがイギリスのパブリックスクールに取り入れられ英国貴族のあるべき姿として扱われました。なぜならパブリックスクールの生徒は上流階級出身が多く有事には軍の指揮官として多くの人間が戦ったためです(近代戦以前は一般兵より士官の方が死亡率が高かったりします)。そのためパブリックスクールでは指揮官として必要な人心掌握などの軍事教練を受けることができました。この考え方が池田潔によって日本に持ち込まれ防衛大学校でも叫ばれるようになりました。
生活
防大生の生活は基本的にアカデミック期間と訓練期間の二つに分かれます。訓練期間はその名の通り毎日自衛隊らしい訓練を行なっておりスケジュールは張り出されるまでわかりません。一学年は皆が同じ共通要員の訓練を受け、二学年以上になると陸海空の各要員ごとの訓練を行います。
一方でアカデミック期間は基本的に課業(授業)を受ける期間で規則正しい生活をしています。ざっくり言うと0600に起きて点呼をとった後に清掃・食事・プレス・靴磨き・ピカールなどを済ませると朝の課業行進を行い教場(教室)に向かいます。その後は授業を受け昼になると昼食をとりプレスやベッドメイクを行ったのちにまた教場へ向かい授業を受けます。夕方になると校友会に取り組んだ後にプレスやベッドメイクをしつつ食事をとり風呂に入ります。その後は自習時間になり最後に夜の点呼をし、消灯点検(清掃)をして就寝です。
他にも大隊対抗の競技会や行事などまだまだ話せていないことはたくさんありますが、このような感じで生活しています。
まとめ
今回は本当にざっくりですが防衛大学校について解説しました。CURIO WEBでは防衛大学校に関する記事を執筆しています。防衛大学校に入りたい人はもちろん、防衛大学校に興味のある人や防衛大学校を知らない人にも楽しく読んでいただけるような内容を目指しています。防衛大学校を今回初めて知ったよという方も何か気になったり質問等ありましたらこちらからお願いします。ではまた次の記事で
事後の行動にかかれ わかれ
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